何が私たちの心を主から遠ざけるのでしょう?主から遠く離れていたイスラエルの民の心を、主は取り戻したいと願っておられます。
エルサレムに残っていた民の中には、嘘を預言する偽預言者たちがいました。終わりの時代の今、当時よりも多くの偽預言者、偽教師が溢れています。その嘘は魅惑的であり、私たたちの肉が聞きたいものであり、惹きつけられるものです。見極めなければなりません。
エゼキエルやエレミヤが語って来た預言を嘲る者たちがいます。偽預言者たちは真逆のことを伝え、民は欺かれています。これは第二ペテロで語られていることと同じであり、今の時代の私たちにぴったり当てはまることです。神は、神にしかお出来になれない方法で、嘲る者たちに応えられます。
神の裁きは神の家から始まる。バビロンにいるエゼキエルは、元居たエルサレムへ霊的に連れて行かれ、エルサレムで起こっている事を見せられます。エルサレムに神が下される裁きを見せられるエゼキエルは、どんなに心を傷めたことでしょうか。こんにちの私たちが今いる時点との預言的類似性にゾッとします。
エゼキエルは幻の中で神にエルサレムに連れ戻さ、神殿の中で行われている忌まわしいことを目にします。それは現代も続いています。ローマ・カトリック、イースター、クリスマスの起源などについて語られます。
前章で、沈黙を守っていてエゼキエルが、神に預言するように語られます。7章では何度も「終わりが来た」と語られています。これは当時の民以上に、今の私たちに当てはまることなのです。
ここで神はエゼキエルを沈黙させられ、彼の行動を通して、民に視覚的に預言を見せられます。非常に残酷なことが起こると預言されており、それは実際に起こりました。そしてこれは現代の私たちにとっての警告でもあります。
神はエゼキエルを召されたことのために、彼を備えさせられます。相手の反応がどうであっても、真理を語り続ける必要があります。それは厳しいことですが、その力は神が与えてくださるのです。